2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2011年05月17日

「勝海舟生誕之地」へ行きました

 JR両国駅から徒歩10分、両国公園内に龍馬の師である「勝海舟生誕之地」の碑があります。
「勝海舟生誕之地」へ行きました

「勝海舟生誕之地」へ行きました

「勝海舟生誕之地」へ行きました

 法務大臣 西郷吉之助書と彫られています。西郷隆盛は勝海舟より早く亡くなったはずなのに何故?
西郷隆盛の孫の名前も西郷吉之助(1906年~1997年)、石碑は孫の書でした。佐藤内閣の時に法務大臣を務めたようです。


 両国公園(勝海舟生誕地)から徒歩5分の場所に回向院があります。回向院境内は天保4年(1833)から76年間、相撲興行本場所の地であったそうです。海舟が長崎の福済寺に滞在した時に、同行していた龍馬と相撲を取った。龍馬173cm、海舟150cmで、海舟は持ち上げられ足をバタバタさせていたという逸話があります。海舟も回向院での相撲を観たのでしょうね。下右の写真は境内にある「力塚」
「勝海舟生誕之地」へ行きました「勝海舟生誕之地」へ行きました


















 回向院には「鼠小僧次良吉(俗名 中村次良吉)」の墓もあります。
鼠小僧って実在の盗賊だったんですね。戒名は教覚速善居士、いい戒名だなあ・・・・?
鼠小僧の墓石を欠いて財布や袂に入れておけば”金回りがよくなる、持病が治る”といわれているそうで、本来の墓の前に「欠き石」(白い色の石)という供養碑が置かれています。
成就した人の奉納した「欠き石」は、数年毎に建て替えられ続け現在までに数百にもなっていると記述されてました。
 勿論コツコツと叩いて、削った粉末を持ち帰り、財布にいれましたよ!
「勝海舟生誕之地」へ行きました





 実は当日5月14日(土)は、15時から東京・四ツ谷で会合の予定でした。
両国国技館では、技量審査場所が開催されており当日券(無料)がAM8:00から1000枚配布されるとのこと。長崎工業高校の同窓生で序二段西2枚目佐田ノ濱(境川部屋)は、前日まで3戦全勝で14日も取組予定あり。
 AM5:40に相模原の自宅を出てJR両国駅に着いたのがAM7:30。国技館の敷地内には、かなりの列。
並んだ場所は、国技館の入口前からJR両国に向かう道路。相撲協会の係の方が「これから並んでも入場券は手に入らないかもしれません」。駄目かなと思いながらも並んだ。自分の後ろにも続々と増え、係の方のアナウンスが「これから並んでも入場券は手に入りません」に変わったが、AM8:00には自分より後ろに500人以上はいた。
 AM8:30、いよいよ自分達の列も動き始めた。「もらえるか?」微妙、AM8:40あと50名位のところで「本日の配布は全て終了しました。残念・・・・ということで「勝海舟生誕之地」他、両国周辺を散策しました。

 力士の幟はなく、さびしい。バックにスカイツリー
「勝海舟生誕之地」へ行きました





 佐田ノ濱は14日(土)は負けました。次は17日(火)の取組です。
佐田ノ濱は長崎市飯香浦町出身、昨年4月29日六郷土手での恒例「長崎凧(ハタ)揚げ」に参加してくれました。境川親方は元小結 両国、長崎市茂木町出身です。
みなさん応援宜しくお願いします。

「勝海舟生誕之地」へ行きました






 旧安田庭園から観たスカイツリーです。関東大震災及び戦没者を慰霊した東京都慰霊堂がある横網町公園も近くにあります。
「勝海舟生誕之地」へ行きました





Posted by 在京長崎応援団塾 at 00:38│Comments(4)
この記事へのコメント
はじめまして!
北陽台20回生でつい先日まで東京に在住していました、松永と申します。
ビードロ会にも北陽台幹事として所属しています。

ブログの再開を心待ちしていました。
龍馬にまつわるいろいろな情報を引き続き楽しみにしています☆

龍馬と海舟が相撲をとっていたなんて想像がつきません。
驚きました、そんな逸話があるとは。
もし実在した話しなら、歴史に残る1番ですね(^ ^)

それから、技量審査場所の行列待ちは相当なようですね。
相撲人気の復活が叶うとよいのですが。。。
Posted by のらんば大志 まっつんのらんば大志 まっつん at 2011年05月18日 10:03
「まっつん」さん投稿ありがとうございます。
まっつんさんのブログ楽しませてもらっています。4/22瀬渡し船・高浜の記事も面白かったです。
4/12の籠町「雲龍亭一口餃子」は、3/25に帰省していた時に初めて娘夫婦に連れて行ってもらった店でした。奥に写っていたスナック「美鈴」、たぶんきれいなママさんだろうなあ・・・・実は娘の名は「美鈴」なんです。
娘のつれあいは東北出身ですが、運よく・・・? 2年間長崎に転勤、4月に東京に戻りました。
Posted by 在京長崎応援団塾在京長崎応援団塾 at 2011年05月18日 21:41
お久ぶりです。
先日の「凧上げ大会」ではお世話になり、本当に有り難うございました。

いつもみても、郷土愛に満ち満ちたブログですね。
しかも、色々な所を紹介していただけるので、とても勉強にもなります。

それにしても、「技量審査場所の当日券」、もうちょっとでしてたね。
朝早くから並んだのに残念です。
(佐田ノ濱関って、昨年の「凧上げ大会」でお会いした方だったんですね。
これからは、私も出来るだけ応援します。)


ところで、両国に「勝海舟生誕之地」の碑があるんですか。
知りませんでした。さらに、近くにある回向院には、鼠小僧の墓もあるとか。
初めて知りました。
機会があれば、是非、行って見ようと思います。

次回のブログも楽しみにしています。

さらに、またお会いできる事を楽しみにしています。
Posted by もっちゃん at 2011年05月21日 15:56
もっちゃん、コメントありがとう。
佐田ノ濱の今場所最後の1番(幕下以下は1場所7番)は、20日でした。
佐田ノ濱果敢に寄っていったが、相手がうっちゃり。行事軍配は、佐田ノ濱にあがったものの、微妙・・・・・「同体では」との物言いがつき土俵上で協議。
そこで自分は「佐田ノ濱」と叫びました! たぶん審判の親方衆にも聞こえたはず? 結果は軍配どおりで5勝2敗の好成績。 やったね(笑い)


実は再度国技館に行きました。(今回はJR両国駅にAM6:45につき入場できました) 行った甲斐がありました。

来場所の番付は、三段目60枚から70枚目位かなと思います(自己最高位は三段目52枚目です)

当日は全勝の白鵬が日馬富士に負けました。仕切り中に地震があり館内が揺れました。翌日の新聞で白鵬は「なんかあったのかな、とは一瞬思いました」との記事がありました。
他にも栃の心VS把瑠都の投げの打ち合いで、栃の心が投げ勝った相撲など好勝負の多い一日でした。

取組開始がAM11:50だったので、両国駅周辺の相撲部屋を廻りました。出羽の海部屋の前の道路上では、背中に砂の付いた若い力士2人に先輩力士(幕下の福の花?)が、熱心に指導していました。しばらく立ち止まって観ておりました。

佐田ノ濱の取組後、来客の案内をされていた元小結岩木山(境川部屋、現年寄関ノ戸)さんに「佐田ノ濱を・・・・」と話しかけたら「今日勝ったよ。危なかったけど・・・・」と気さくに答えてくれました。

八百長相撲問題はあった(ある?)けど、逆にいえば殆んどがガチンコ勝負。1日わずか数秒の勝負のために心身の鍛練・精進は、まさに相撲道。

大相撲が本来の形で開催されること。そして佐田ノ濱他、郷土の力士の活躍を期待しております。

国技館内には、優勝力士の優勝額が32枚飾ってあります。(1年6場所なので5年間プラス2場所分)
32枚のうち日本人力士は、平成18年1月場所の栃東の1枚のみ。ちょっと淋しいですね。

22日の朝日新聞記事抜粋です。
国技館からほど近い「回向院」。宗派に関係なく「あらゆる命を供養する」という。
両国は、江戸の大火や地震・関東大震災・東京大空襲と自然災害や戦災で傷つき続けてきた。回向院から始まる大相撲には、「鎮魂の儀式」という側面がある。
場所後の6月3日、白鵬ら関取20人が被災地への慰問にたつ。
「お相撲さんの元気な姿を見せてあげるのが、生きるための力につながり、一番の供養になる」

がんばれ東北!  がんばれ大相撲 !
Posted by 在京長崎応援団塾在京長崎応援団塾 at 2011年05月22日 14:22
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