2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2009年12月24日

お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました

 龍馬の妻お龍さんの墓は、京浜急行「京急大津」駅下車、右方向の踏切を渡り住宅街を徒歩約7分の浄土宗信楽寺(しんぎょうじ)の境内にあります。
お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました      信楽寺の看板の矢印方向へまっすぐ進んだ突き当たりが山門になっています。
お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました
 境内には約400位の墓があります。お龍さんの墓は本堂より左手奥の急な崖のそばに建っていますが、すぐに見つけることができました。一番高く見える石碑です。
お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました
 墓石には「贈正四位阪本龍馬の妻龍子之墓」と刻まれています。さかもとは「坂本」ではなく何故か「阪本」となっています。
裏面には、「照龍院閑月珠光 実妹 中澤光枝建立」と彫られています。
 横須賀市大津観光協会の主催で10月10日には21回目の墓前祭が行われ、約300人が参加され追慕したそうです。清掃が行き届き、きれいな花や「龍馬ビール」も供えられ、龍馬の置物もありました。
自分も線香をあげさせてもらい「龍馬伝の視聴率アップ」を祈願してきました。お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました
 墓石の脇にある横須賀風物百選「坂本龍子の墓」掲示説明板には、次のとおり書かれています。
 江戸末期の風雲児、坂本龍馬の妻龍子は、「寺田屋騒動」の折、龍馬の危急を救った女性として広く知られています。
 龍子は京都の町医者 楢崎将作の長女として生まれました。生年月日については、天保11年説もありますが、本市に残る除籍簿によれば、嘉永3年(1850)6月6日となっています。
 名は「りょう」また「とも」と呼ばれ伏見の「寺田屋」にいた頃は「お春」と呼ばれていたようですが、確かなことは不明です。
 坂本龍馬は、慶応3年(1867)11月15日、京都のしょうゆ商近江屋で京都守護職の輩下 見廻組与力の乱入を受け、斬りつけられて、33歳の若さで斬殺されました。未亡人となった龍子は、夫龍馬の実家 土佐の坂本家に移り住みましたが長続きしませんでした。その後、京都・大坂・東京と明治初年まで流浪の生活が続きました。その原因や生活状況については、いろいろの説があり、現在のところでは、定説がありません。
 ただ、はっきりしていることは、明治8年7月2日、三浦郡豊島村深田222番地(現在の米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治39年1月15日の午後11時に死亡した事実だけです。いろいろな資料によりますと、龍馬の死後、龍子の生活は波乱の連続であったようです。
 龍子の葬儀は、知人や隣人の助力で明治39年10月20日にささやかに営まれました。また遺骨は、当時の信楽寺住職新原了雄師のご好意により、この地に葬られたとのことです。



 12月13日に龍馬グループの浜野さんが訪ねられており、浜野さんからの情報で京急「横須賀中央」駅の近くに「やきとり 竜馬におまかせ」がある。
 信楽寺のある「京急大津」駅から3駅目の京急「横須賀中央」駅下車徒歩6分。
 
 店主 齊藤 秀一さんは横須賀で生まれ育った昭和40年生まれの現在44歳。若いころから龍馬の生き方に感銘を受けていて、29歳のとき長崎を訪れ立ち寄った銅座町の「風雲児焼きとり竜馬」いつか自分もこんな店を持ちたいという夢をふくらませ約10年後、大学卒業後勤めてきた郵便局を退職、焼きとりの修行をし2008年5月に開店。ラジオのニッポン放送で今年7月に齊藤さんのことを紹介したテープを聞かせてもらいました。
 店内はカウンター席7名、座敷10名で店内には龍馬の写真や龍馬にちなんだ酒でいっぱい。
 自費出版で「龍馬とおりょうの想い出物語」「龍馬の夢」等の著書があり、来年1月19日には咸臨丸が浦賀港を出港し150周年を記念して「坂本龍馬とおりょう」¥500を発刊することにしているそうです。
お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました
お龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きましたお龍さんの墓(横須賀市 信楽寺)に行きました

 12月22日(火)17:20頃、店の場所を確認するため電話したところ、齊藤さんから「あいにく、今日は16名の宴会が入っているのでーーー」という返事。「なんとかーーー」と頼み込みOKを得た。17時30分頃店に到着。宴会は18時からとのことで、客は自分一人。店内に入るや否や、龍馬談義、宴会は横須賀市の某小学校の教師の方たちだったが、最初に見えた女性の方が長崎・島原に中学校まで住まれていたとのことで意気投合、つい盛り上がり結局21:00まで歓談しました。
自然農法により育てられた筑波鶏の朝ひき肉を使用した焼き鳥は、なかなかの美味でした。
 ボトルキープしてきましたので、お龍さんの命日の1月15日前後に齊藤さんの話をじっくり聞きに行こうと思っています。
 今週末長崎に帰省する予定にしております。自分は風雲児焼とり 竜馬には、まだ行ったことがありませんが、齊藤さんのことを土産話に盛り上がってこようと思います。










Posted by 在京長崎応援団塾 at 11:25│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。