2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2010年02月20日

千葉 佐那を描いた錦絵?が見つかりました!

 朝日新聞 2010年2月13日付
千葉 佐那を描いた錦絵?が見つかりました!





























 千葉佐那は北辰一刀流玄武館道場の千葉周作の実弟定吉の長女(定吉には長男重太郎の他に佐那、里幾、幾久の3姉妹がいた)
 龍馬と佐那の最初の出会いは、定吉の道場(江戸時代の桶町、現在の東京駅八重洲口あたりだったらしい)に龍馬19歳が剣術修行にきたときで佐那は16歳だった。

 「龍馬伝」の第4話(1/24放送)では、定吉に弟子入りの挨拶直後、定吉の指名で佐那との手合わせの
結果、龍馬が負けてしまうが、剣の腕がたち「鬼小町」と呼ばれている佐那が徐々に龍馬に惹かれていく。
 第6話(2/7放送)では龍馬が1年間の修行を終え、一旦土佐へ帰る場面で再度修行に来る事を約束し、指切りをしましたよね。


龍馬は、筆まめで確認されているものだけでも130通余があるが、姉乙女にあてた手紙のなかに佐那のことも書かれています。
1863年(文久3年)。龍馬29歳、佐那26歳のとき。
・馬によくのり剣も余程手づよく、長刀(なぎなた)も出来・・・・・・・
・かほかたち平井(加尾のこと、龍馬伝では広末涼子さん)より少しよし

と大恋愛の胸中を伝えている。
 しかしその後、龍馬は30歳で出会ったお龍当時24歳(龍馬伝では真木よう子さん)との恋愛・結婚・薩摩霧島方面への新婚旅行をすることになる。
 
 佐那は、龍馬の死後も独身を通し明治時代になって学習院女子部の舎監を務めた後、東京千住(現足立区)で灸治療を開業して生計を立てた。(灸は父定吉や兄重太郎が水戸藩から伝授されたもの)
 1896年(明治29年)59歳で他界。遺骨は東京・谷中に埋葬されたが、千住で灸の治療を受けていた小田切謙明の妻豊次が無縁仏になるのを不憫に思い、自家の菩提寺山梨県甲府市朝日町の清雲寺に分骨し墓を建て、自然石の裏面には「坂本龍馬室」と刻まれているそうです


 佐那と千葉定吉家族の生涯を、千葉家の女中「きみ」と10歳で奉公にきた「よし」の目を通して描かれた「龍馬のもう一人の妻」 阿井景子著では
 ・坂本さんも坂本さんだよ、お嬢さまの気持ちを知っていて、ぬけぬけと居座っているのだから
 ・あの男(龍馬のこと)は、お嬢さまを迷わせるだけあって、人の使い方を知っているよ
 など佐那と龍馬の出会いから10余年、他の縁談がなかったわけでもないのに、糸の切れた凧のような龍馬を待ち続ける佐那のやるせない気持ちが描かれています。

初恋のひとと言われる平井加尾(広末涼子さん)、婚約者といわれる千葉佐那(貫地谷しほりさん)、そして楢崎龍(お龍、真木ようこさん)が、これからの「龍馬伝」でどう描かれるのか・・・楽しみです。


 話は変わりますが、北辰一刀流千葉周作道場の少年剣士ドラマ「赤胴鈴之助」を子供の頃ラジオで聞いていた記憶がかすかにあります。
たしか冒頭に「ちょこざいなやつ、名をなのれ!」 「赤胴鈴之助だ!」の後にテーマ曲

 剣をとっては 日本一に
 夢は大きな少年剣士
 親はいないが 元気な笑顔
 弱いひとには 味方する
 おう! がんばれ 頼むぞ
 ぼくらの仲間 赤胴鈴之助

の曲が流れたとの記憶ですが・・・・・




Posted by 在京長崎応援団塾 at 11:48│Comments(0)
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