2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

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Posted by のらんば長崎運営事務局 at

2010年10月16日

千葉さな子の墓(甲府・清運寺)

 10月15日は千葉さな子(龍馬伝では佐那、貫地谷しほりさん)の命日です。
甲府・清運寺に行ってきました。
 墓石は台座を含めて高さ約100cm、幅約40cmで小田切家の墓所内にあります。
裏面には明治廿九年十月十五日逝 坂本龍馬室、左横面に小田切豊次建立と刻まれています。





















清運寺本堂                       清正公堂(清運寺入り口にあります)



















小田切家の墓所
 清運寺本堂の後ろの墓域に整然と建てられています。
中央に小田切謙明と妻豊次の墓、千葉さな子の墓は左端にあります。
 謙明・豊次の墓石の碑文は、謙明の自由民権運動に関する記述のようです(よく分かりませんでしたが・・・)
 板垣退助は読めました。






















 清運寺の近く徒歩1~2分の酒屋さんで純愛酒「佐那の愛」(大冠酒造:山梨県南アルプス市)を
買いました。
 定価¥200の冊子付で¥1,470でした。


 酒屋さんは、清運寺さんの檀家だそうで、5月から売り出したそうです。ワインもありました。
酒屋さんの女性の方と男性のお客さんと佐那のこと、お龍のこと、加尾のことや龍馬伝のことで約20分楽しい会話でした。










 
 清運寺までは甲府駅北口から徒歩約15分です。手作りの案内が何箇所かにありましたが、分かりにくかったです。
龍馬の妻、 お龍の墓がある横須賀・京急大津周辺に比べれば、ちょっと静かでした。(妻と婚約者の違いか・・・?。もちろん墓は静かにお参りするものですが)

 

















 純愛酒「佐那の愛」に付いていた冊子のなかの地図が分かりやすいようです。




 甲府、甲斐の国といえば
甲府駅南口には武田信玄像が建っています(座っていますけど・・・)。




  

Posted by 在京長崎応援団塾 at 15:08Comments(0)

2010年10月16日

薩長同盟裏書(龍馬自筆)を観ました!特別展「皇室の文庫」

 10月17日まで皇居・三の丸尚蔵館で、特別展「皇室の文庫(ふみくら)」が開催されています。
宮内庁が保管してきた古典、絵巻や文書など、初公開のものも多く極めて貴重な名品41件が展示されています。










 

 明治維新期の文書3件のうち、龍馬自筆の薩長同盟裏書の原本も展示されているんです! 
そうなんです! 龍馬が慶応2年(1866)1月23日に寺田屋で傷を負ったあとに書いたものです!
 桂小五郎(木戸孝允)が書いた「薩長同盟」6ケ条の裏に朱書き(今も鮮明)で書かれていました!
明治維新期の他の文書2件は五箇条御誓文(原本控)と憲法発布式図です。




















 表に御記入なされ候
 六条は小、西両氏及び
 老兄龍等も御同
 席にて談論せし
 所にて毛も相違
 これなく候 将来と
 いへども決して
 変わり候事なき
 は 神明の知る
 所に御座候

 丙寅
 二月五日  坂本龍
 


 龍馬伝では龍馬(福山雅治さん)が傷を負った左手の痛みに耐えながら、お龍(真木よう子さん)の介助を受けながら筆を持つシーンがありましたね

 書物やネットでは何度も見ていますが、実物を眼の前に龍馬の命を懸けた激情に触れることができました。

 特に文中の「毛」「決して」そして署名の「坂」「龍」に熱い思いが込められているような印象でした。



  

Posted by 在京長崎応援団塾 at 10:39Comments(1)

2010年10月12日

いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡

 龍馬伝10月10日放送「さらば高杉晋作」(旧タイトルは海援隊始動)では、土佐藩と手を結び亀山社中から海援隊へとなって再出発。
 長崎土佐商会の主任となった岩崎弥太郎の尽力で伊予大洲藩から「いろは丸」を借り受けることに成功。

 「いろは丸」を使って海運ビジネスを展開、大政奉還を目指すが・・・・・・
10月17日放送「いろは丸事件」、10月31日放送「英国水夫事件」と大きな事件が発生。
 窮地に追い込まれる龍馬が機転と行動力でどう突破するか? 楽しみです!

 事件に関係する聖福寺(長崎市玉園町)、英国軍艦イカルス号水夫の墓(長崎市川上町、大浦国際墓地)、長崎奉行所跡(長崎市立山、現長崎歴史文化資料館)へ行きました。


 聖福寺(長崎市玉園町)
 龍馬等の意を受けた土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎が参席し「いろは丸事件」の談判を紀州藩宿の聖福寺で行った。
 聖福寺はさだまさしさんの映画「解夏(げげ)」の撮影にも使われました。
「いろは丸事件」は慶応3年(1867)4月23日、龍馬率いる海援隊の「いろは丸」(160トン)と紀州藩の大型船「明光丸」(880トン)が瀬戸内海で衝突。
「いろは丸」は「明光丸」に曳航されて鞆の浦(広島県福山市鞆町)に向かうが、途中で沈没。乗員34名は「明光丸」に乗り移り無事だった。
























 2010年1月7日(朝日新聞夕刊)





























イカルス号水夫の墓(長崎市川上町、大浦国際墓地)
 慶応3年(1867)7月6日深夜、英国軍艦「イカルス号」水夫2名(ロバート・フォード、ジョン・ハッチングス)は泥酔し、長崎丸山の引田屋前に寝そべり何者かに殺傷された。
 「白木綿、筒袖、袴を着た侍が逃げ去った」という証言から、似た服装の海援隊士に嫌疑がかけられた。
長崎に来港した駐日英国公使ハリー・パークスは激高し長崎奉行と会談し抗議。
 薩英戦争の再来を心配し平和的解決を願う幕府の意向が伝えられるなか、8月に土佐須崎港での後藤象二郎とパークスおよび駐日公使館員アーネスト・サトウ等が談判したが、パークスの推測に証拠はなく長崎での検証を決めた。
9月6日、長崎奉行所は「お構いなし」の判決を下した。
 パークスは、その後も事件を追及し明治になって犯人は福岡藩の金子才吉と判明。金子は犯行の夜に自殺し、福岡藩はそれを隠していた。

 大浦国際墓地に埋葬されている方の多くは停泊中に死亡した艦船の乗組員だそうです。
イカルス号水夫の墓は大浦国際墓地の入り口から2段目の左側への通路の奥にあります。黄色い彼岸花が咲いていました。







































長崎奉行所跡(長崎市立山、現長崎歴史文化博物館)
 




















 イカルス号事件で取調べを受けた龍馬は、アーネスト・サトウの言い分を馬鹿にするように高笑いしたそうです。サトウはその時の印象を「悪魔のように恐ろしい顔」と日記に書いているそうです。




















石垣及び石段に使用されている石は、復元するにあたり発掘された石も使われているそうです。(石垣及び石段の下段の部分。石の色が違っています)











長崎歴史文化博物館のロビーには、龍馬と弥太郎両雄の力強い像が立っています。




















































 薩長同盟が成立したのも束の間、寺田屋の襲撃で重傷を追った龍馬。
 身辺に危険の迫る龍馬はお龍(真木よう子さん)を長崎小曽根邸から下関へ。 
えーっ ! もうお龍は下関に行ってしまうの ! 
 お龍の月琴を聴きたかったのに残念 !
 
  

Posted by 在京長崎応援団塾 at 17:37Comments(0)

2010年10月08日

「龍馬が愛した女性たちー佐那・加尾・そしてお龍」の講演会

 お龍の墓がある信楽寺(しんぎょうじ、京浜急行 京急大津駅徒歩5分)で毎年営まれている第22回 坂本龍馬の妻龍子墓前祭が10月9日に実施されます。
 今年は「龍馬伝」による盛り上がりをうけ、1日から10日まで「おりょうさんまつり」としてパネル展やウォーキング、特別講演も開かれています。

 10月2日に鈴木かほるさん(横須賀市在住、中世史家、三浦一族研究会)の特別講演「龍馬が愛した女性たちー佐那・加尾そしてお龍」に行きました。

 昨年5月に在京長崎応援団塾が発足。メンバーの多くが長崎に寄せる熱い思いで高尚なテーマで活動するのをみて、とにかく何かやらねばということで「龍馬伝」のおっかけ”龍馬伝と長崎を盛り上げよう”を始めました。

 まず手始めに読んだ著書のひとつが鈴木かほるさんの「史料が語る 坂本龍馬の妻 お龍」でした。







 鈴木かほるさんがこの本を書かれた動機は、2006年にお龍の没後100年を迎え地元横須賀・大津のイベントにあわせ多くの資料を収集されたそうです。その過程でお龍(楢崎龍)については俗説や誤謬が氾濫し、酒豪などマイナスイメージが強調されすぎているのを真実に近い姿を知らせたいとの思いからだそうです。

 講演の内容は、上記著書の内容に沿ったものでした。
 ・龍馬に好意を寄せた女性は多い。そのなかで加尾・佐那・お龍については、龍馬の手紙からも龍馬が愛した女性であったことが分かる。  いずれも侠女といわれる女性だった。

 ・通説では生涯独身だった佐那に結婚歴ありとの報道(2010年7月)に関しては、未調査だとのことだった。

 ・30歳頃のお龍の写真。2008年5月の科学警察研究所の鑑定結果、「別人と判定するに足る形態学的相違点は認められない」に関しては、まだ「伝 お龍」の写真とすべきとの見解だった。

 ・西村松兵衛と再婚していたにも拘わらず、お龍の墓碑に「龍馬之妻」と刻まれ、且つ施主がお龍の実妹光枝だったいきさつを詳しく話された。




 










 龍馬伝32回狙われた龍馬(8月8日放送)で、寺田屋のお登勢がお龍に「坂本さんは、ひとりのオナゴを幸せにするために生まれてきやはったんじゃない。坂本さんが幸せにしたいのは世の中すべてのひとや」のシーンがありました。
 龍馬には初恋のひとといわれる平井加尾、婚約したといわれる千葉佐那そして妻となったお龍。龍馬と出会って幸せだったかどうか・・・・・・・・

 8月8日放送では、こんなシーンもありました!
佐那の兄千葉重太郎が「佐那のもとに戻ってきてくれ。君も佐那のことを好きだといったじゃないか!」に対し龍馬は「尊敬しちょりますといったんです」とは・・・・・・
 龍馬の気持ちは既に佐那からお龍へいってたんですね 



 京急大津駅周辺は盛り上がってました!
 2010年10月8日付 朝日新聞朝刊






























よこすか龍馬会による「月琴の演奏と語り」。 龍馬やお龍の衣装の方もいっぱい歩いてました!
  

Posted by 在京長崎応援団塾 at 13:06Comments(5)

2010年10月03日

長崎・風頭公園の愛称を 「風頭龍馬公園」 にしましょうよ!

 龍馬伝9/19放送の ”霧島の誓い”で龍馬(福山雅治さん)の入浴シーンがありました。
お龍(真木よう子さん)の入浴シーンは ?

 昨年10月、品川プリンスホテルの「龍馬伝サミット」(龍馬伝関係自治体首脳会議)で霧島市の前田市長が入浴シーンを懇願されてました。 自分の期待は二人揃っての入浴シーンだったので、ちょっと残念!

 放送の最後の龍馬伝紀行で霧島市の「塩浸温泉龍馬公園」が紹介されました。
みつけました! ネーミングに龍馬が入っているんです! 
 建物の老朽化により2009年3月に入浴施設を一旦閉鎖、入浴施設や龍馬に関連した資料等を展示する施設を整備し2010年5月1日に再開し、名称を「塩浸温泉龍馬公園」としたようです。























 前にも何回か書きましたが長崎の「風頭公園」にも愛称として龍馬を冠せて欲しい!!!
  
 対象エリアは、今春整備された龍馬像から亀山社中跡・若宮神社方面へ進むエリアがいいかなあ。


































 











 「龍馬伝」を機会に「龍馬と長崎の関係」をより深く認知してもらうため「風頭龍馬公園」を実現させたいなあ!



   

Posted by 在京長崎応援団塾 at 23:15Comments(0)