2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2010年05月06日

お龍(龍馬の妻)終焉の地に行ってきました

 横須賀の「やきとり 竜馬におまかせ」店主齋藤秀一さんからウォーキングの案内があり、5月5日に行ってきました。
 「竜馬におまかせ」及び齋藤さんについては弊ブログ2010年1月30日付参照
 
 コースは「竜馬におまかせ」を12時出発⇒ おりょう会館(お龍終焉の地)⇒ 浦賀道⇒信楽寺(お龍の墓)⇒ うみかぜ公園⇒「竜馬におまかせ」の約3時間のコースでした。
 老若男女総勢14名、ウォーキング指導員の「りょう(ryo)]さんから留意事項を聞き出発。(りょうさんは休日はほとんど各地のウォーキングに参加されており「竜馬におまかせ」の常連」)
 各ポイントでは齋藤さんが説明してくれました。当日は陽射しは強かったものの適度な風があり、ウォーキングの後は「竜馬におまかせ」で龍馬談義、楽しい一日でした。
 自分は神奈川県相模原市に住んでおり「竜馬におまかせ」は、昨年12月に初めて行き、今回4回目でしたが毎回初対面の方とも気楽に話が弾む店の雰囲気が気にいっています。




 お龍は龍馬亡き後、高知・京都・大阪・東京を転々とし現在の横須賀市米が浜通の棟割長屋の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍、66歳で病没(33歳で暗殺された龍馬のちょうど2倍生きた)。
 敷地には1996年に総合葬祭式場が建てられ、供養の意味を込めて「おりょう会館」と命名されたそうです。
 米が浜の地名のとおり、浜辺が見える場所だったようですが、埋立てられ海岸線は国道16号線を超え、ずーと先になります 
お龍(龍馬の妻)終焉の地に行ってきました
 
お龍(龍馬の妻)終焉の地に行ってきました
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おりょう会館内の掲示物です
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 龍馬伝では、お龍(真木よう子さん)の登場は5月30日からだそうです。
平井加尾、千葉佐奈と二人の女性を泣かせた龍馬、お龍との出会いはどう描かれるのでしょうか・・・・・・?



浦賀道です
赤門と呼ばれている長屋門の家があり、石柱の道標もありました
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公後(くご)学校跡、市内で最古の小学校のひとつ明治10年に建てられたそうで、浄蓮寺の本堂も使われたとあります
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元総理大臣の小泉純一郎さんが初詣でに来るという春日神社です。純一郎さんの父純也氏の石柱もありました
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京急大津駅から信楽寺までに龍馬関係の案内が増え、前回12月に来た時にくらべ分かり易くなっていました
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お龍さんの墓でウォーキング参加メンバーの集合写真です!
なお、お龍さんの墓については弊ブログ2009年12月24日付を参照
お龍(龍馬の妻)終焉の地に行ってきました




















 実はまたひとつ偶然(ふしぎな繋がり)がありました!
30数年前結婚の時の仲人をしていただいたYさん(今も親しくさせていただいている)が信楽寺の檀家だったのです。
 今回Y家の墓にもお参りさせてもらいました。(合掌)



Posted by 在京長崎応援団塾 at 22:55│Comments(0)
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