2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2010年06月11日

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)

 6/4(金)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(東急池上線洗足池下車徒歩7分)
 龍馬が姉乙女宛の手紙に「今にては日本第一の人物 勝りんたろう殿という人にでしになり」と記述し、師と仰いだ勝海舟(龍馬伝では武田鉄矢さん)。
 龍馬の仲立ちにより敵対していた長州藩と薩長同盟を結んだ西郷隆盛(龍馬伝では高橋克実さん)、龍馬は西郷の印象を「大きく叩けば大きく鳴るし 小さく叩けば小さく鳴る」と語っている。

 
 ちょうどこの日に民主党の菅直人さんが新首相に指名された。山口県宇部市出身の菅首相は8日の就任会見で長州の高杉晋作が挙兵した奇兵隊になぞらえ奇兵隊内閣、草の根政治をとアピールした。
 難問が山積した日本の閉塞感を打ち破るには、幕末に命を賭した多くの若者達の気概と全体を大所から見極めた上で進むべき道を明確に示し、その舵取りが必要。
 菅内閣には、高杉晋作の行動力を礎とし勝海舟や龍馬のような先見性、民主党内だけでなく諸外国や野党との対話・調整・総合統括力を発揮して欲しい!


 

勝海舟夫妻の墓
 勝海舟の遺言により、別邸を建て住んでいた富士山の見える此の場所に葬られたとのことです。
妻民子の墓は、後に青山墓地から移設されたそうです。
右側が海舟の墓。海舟の文字は、徳川慶喜の筆といわれています。
 


勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池) 
勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)

















































 勝海舟夫妻の墓の入口の所に、「勝海舟の墓」と「西郷隆盛留魂碑」の標柱があります。
一番奥が勝海舟夫妻の墓、墓の左側に隣接して「西郷隆盛留魂碑」があります。



勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)



















 東急池上線洗足池で下車、道路(中原街道)を渡りすぐの洗足池図書館の前に「勝海舟別邸」の説明板があります。明治元年(1868)3月14日、15日に勝海舟は官軍の西郷隆盛と江戸城無血開城の歴史的和平交渉、交渉場所の池上本門寺に赴く途中、休憩した洗足池畔の風景にうたれ、その縁で別荘(洗足軒)を構えた。
 勝海舟夫妻の墓は、道なりに進んだ洗足池公園のなかにあります。
 

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)
勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)
































西郷隆盛留魂碑および留魂祠
 勝海舟洗足池畔の別邸(洗足軒)で西郷隆盛と日本の将来について歓談したと伝えられています。
 西郷隆盛が明治10年(1877)西南の役で逝去したのを惜しんだ勝海舟は、追慕のため西郷隆盛の漢詩「獄中有感(ごくちゅうかんあり)」の碑と留魂祠を建立した。もとは薬妙寺(葛飾区東四ツ木)にあったが大正2年(1913)に移設され、維新の両雄は相並んで我国の将来を見守っているそうです。



勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)



勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)
勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)





















 洗足池の由来が書いてありました!
 日蓮上人が、千束池の畔で休息し傍の松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったとの言い伝えから、この松を「袈裟掛けの松」、千束池を「洗足池」と称されるようになったとのことです

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)

勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)勝海舟夫妻の墓と西郷隆盛留魂碑に行ってきました(洗足池)


Posted by 在京長崎応援団塾 at 12:21│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。