2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2010年06月13日

「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)

 タウンページで見つけた「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演会(相模原市立産業会館)へ6/5(土)に行ってきました。
(株)ハシモトコーポレーション(相模原市中央区宮下2-11-4)達が発起人となり発足したとのことです。
 会長は溝渕誠之(みぞぶちせいし)氏(誠心幼稚園園長)、顧問に土屋侯保(つちやきみやす)氏(大正大学招聘教授、前大和市長)、関係者席には10数名の市会議員の方も参加されていました。定員200名の会場は満席でした。

 土屋氏の講演では、単なる龍馬のファンクラブではなく「さがみ龍馬先生顕彰会」という真面目に龍馬を検証するという趣旨の話でした。

「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)

「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)




















溝渕会長
 1923年高知県生。相模原市議会議員11期。誠心幼稚園の設置者、園長。幼稚園の玄関には坂本龍馬像が立っているそうです。
 高知で溝渕といえば・・・溝渕広之丞(龍馬伝ではピエール瀧さん)との血縁は? 
と尋ねてみました!
はっきりとした繋がりはありませんが・・・という返事でした。










「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)土屋侯保顧問
 1946年生。1987年から2期8年神奈川県大和市議会議員、1995年から3期大和市長。

大正大学招聘教授。
 龍馬の人生で起きたことの背景・結果・龍馬没後の世に与えた影響など、史実やいろいろな見解を示された。
 特に龍馬の没後に世にでた「藩論」(海援隊と龍馬の共同で執筆されたのではといわれている)の思想が、後の土佐の板垣退助等の自由民権運動に繋がっているのではないかというのは興味深い話だった。



 参加者有志による「龍馬への思い」のトークもありました。
 左の方は、幕末長崎でグラバー商会に次いで艦船を輸入したウォルス商会の子孫の方(大和市在住)。
 右の若者は、自身が左手の神経を損傷する大事故でリハビリ中に「龍馬は寺田屋で左手に負傷を負った後も大きな仕事を成すために前向きに突き進んだ」ことを励みとしてきた(している)との話がありました。


「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)

2階には、複製画が展示されていました。
「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)






「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)


































左は西郷隆盛の書、右は勝海舟の書。
「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)


 実は我家には10数年燕が巣を作っていましたが、97年を最後に来なくなりました。
ところがビックリ!今日午後巣作りが始まりました! 
これまで百舌(もず)やカラスに襲われ巣から雛が落とされたり、巣を壊されたりした年もありました。
 1996年は、朝出勤時に孵ってまもない6羽の雛が落とされていたので一旦ザルに入れ巣に戻したら無事育ち飛び立っていったこともありました! 楽しみです!(ちょっと心配も)

「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)「さがみ龍馬先生顕彰会」発足記念講演(相模原市立産業会館)


Posted by 在京長崎応援団塾 at 22:02│Comments(0)
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