2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2010年10月12日

いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡

 龍馬伝10月10日放送「さらば高杉晋作」(旧タイトルは海援隊始動)では、土佐藩と手を結び亀山社中から海援隊へとなって再出発。
 長崎土佐商会の主任となった岩崎弥太郎の尽力で伊予大洲藩から「いろは丸」を借り受けることに成功。

 「いろは丸」を使って海運ビジネスを展開、大政奉還を目指すが・・・・・・
10月17日放送「いろは丸事件」、10月31日放送「英国水夫事件」と大きな事件が発生。
 窮地に追い込まれる龍馬が機転と行動力でどう突破するか? 楽しみです!

 事件に関係する聖福寺(長崎市玉園町)、英国軍艦イカルス号水夫の墓(長崎市川上町、大浦国際墓地)、長崎奉行所跡(長崎市立山、現長崎歴史文化資料館)へ行きました。


 聖福寺(長崎市玉園町)
 龍馬等の意を受けた土佐藩参政・後藤象二郎と紀州藩勘定奉行・茂田一次郎が参席し「いろは丸事件」の談判を紀州藩宿の聖福寺で行った。
 聖福寺はさだまさしさんの映画「解夏(げげ)」の撮影にも使われました。
「いろは丸事件」は慶応3年(1867)4月23日、龍馬率いる海援隊の「いろは丸」(160トン)と紀州藩の大型船「明光丸」(880トン)が瀬戸内海で衝突。
「いろは丸」は「明光丸」に曳航されて鞆の浦(広島県福山市鞆町)に向かうが、途中で沈没。乗員34名は「明光丸」に乗り移り無事だった。
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡























 2010年1月7日(朝日新聞夕刊)
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡




























イカルス号水夫の墓(長崎市川上町、大浦国際墓地)
 慶応3年(1867)7月6日深夜、英国軍艦「イカルス号」水夫2名(ロバート・フォード、ジョン・ハッチングス)は泥酔し、長崎丸山の引田屋前に寝そべり何者かに殺傷された。
 「白木綿、筒袖、袴を着た侍が逃げ去った」という証言から、似た服装の海援隊士に嫌疑がかけられた。
長崎に来港した駐日英国公使ハリー・パークスは激高し長崎奉行と会談し抗議。
 薩英戦争の再来を心配し平和的解決を願う幕府の意向が伝えられるなか、8月に土佐須崎港での後藤象二郎とパークスおよび駐日公使館員アーネスト・サトウ等が談判したが、パークスの推測に証拠はなく長崎での検証を決めた。
9月6日、長崎奉行所は「お構いなし」の判決を下した。
 パークスは、その後も事件を追及し明治になって犯人は福岡藩の金子才吉と判明。金子は犯行の夜に自殺し、福岡藩はそれを隠していた。

 大浦国際墓地に埋葬されている方の多くは停泊中に死亡した艦船の乗組員だそうです。
イカルス号水夫の墓は大浦国際墓地の入り口から2段目の左側への通路の奥にあります。黄色い彼岸花が咲いていました。
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡





































長崎奉行所跡(長崎市立山、現長崎歴史文化博物館)
 いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡




















 イカルス号事件で取調べを受けた龍馬は、アーネスト・サトウの言い分を馬鹿にするように高笑いしたそうです。サトウはその時の印象を「悪魔のように恐ろしい顔」と日記に書いているそうです。
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡



















石垣及び石段に使用されている石は、復元するにあたり発掘された石も使われているそうです。(石垣及び石段の下段の部分。石の色が違っています)
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡










長崎歴史文化博物館のロビーには、龍馬と弥太郎両雄の力強い像が立っています。
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡
いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡いろは丸談判(聖福寺)、イカルス号英国水夫の墓、長崎奉行所跡


















































 薩長同盟が成立したのも束の間、寺田屋の襲撃で重傷を追った龍馬。
 身辺に危険の迫る龍馬はお龍(真木よう子さん)を長崎小曽根邸から下関へ。 
えーっ ! もうお龍は下関に行ってしまうの ! 
 お龍の月琴を聴きたかったのに残念 !
 



Posted by 在京長崎応援団塾 at 17:37│Comments(0)
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