2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2009年11月01日

土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました

 10/26(月)「龍馬伝サミット」(品川プリンスホテル)に出かける途中、山内容堂の墓(京浜急行鮫洲駅徒歩5分)、浜川砲台跡と土佐藩下屋敷跡(京浜急行立会川駅徒歩各5分)に行って来ました。
鮫洲駅は品川駅から3番目、立会川駅は品川駅から4番目の駅です。

 鮫洲駅と立会川駅は隣の駅なので天気が良ければ、容堂の墓を経由して浜川砲台方面へ徒歩で廻れる距離ですが、あいにく台風の影響で風雨が強く、容堂の墓に行った後、鮫洲駅から電車で立会川に行きました。

今回の記事は山内容堂の墓に関するものです。

 山内容堂は関ヶ原の戦い後、掛川から土佐へ移ってきた初代土佐藩主の山内一豊から数えて14代目の土佐藩主です。
 容堂は龍馬が青年時代の土佐藩主で、徳川家世継問題で井伊直弼との政争に敗れて隠居を強いられ鮫洲の土佐藩下屋敷で数年を過ごしました。藩主が山内豊範に代わった後も藩政に強い影響を持ち続けました。
 酒と詩を好み自嘲的に「鯨海酔候」と名乗りました。
土佐勤皇党を弾圧する一方で、朝廷や幕府にも尽くして幕末の時流に乗ろうとした態度を、志士達から「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄されました

土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました



土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました


  
大井公園下の側道を約150m進むと突き当り(袋小路)に入り口があり坂段を上りきった場所に容堂の墓はあります。この小高い丘は土佐山と呼ばれているそうです。


土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました


土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました
土佐藩主、山内容堂(豊信)の墓に行ってきました








Posted by 在京長崎応援団塾 at 13:59│Comments(0)
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