2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2009年11月06日

土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

京浜急行品川駅から4番目の立会川駅で降り、土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行ってきました。
1854年ペリーが浦賀に再来航。前年佐久間象山に西洋砲術の訓練を受けていた当時20歳の龍馬等、土佐藩の若者は浜川砲台に配置され、土佐藩品川下屋敷から浜川砲台へ通った。
立会川沿いの土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡を結ぶ道は、現在も商店街として残っている。


土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

①が土佐藩品川下屋敷、⑧に鮫洲抱屋敷があり浜川砲台があった。
②から浜川砲台⑧へ向かう道が商店街として残っている。
⑥は旧東海道

今回は、現在立会川駅のある④から土佐藩品川下屋敷跡方面のレポートです。

土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

京浜急行立会川駅です。④の位置
立会川の地名の由来は、近くにあった「鈴ヶ森刑場」へ送られる罪人を川を挟んで、関係者が最後に見送る(立ち会う)事から「立会川」との説もある。



土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

駅を出て右側の土佐藩品川下屋敷跡へ向かう道。
土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

龍馬関係の旗が商店街に飾られています。


土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

土佐藩品川下屋敷跡の入り口。②の位置
「お帰りなさい龍馬さん」は、いいですね。!
前の道路は第一京浜(国道15号線)です。


土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

土佐藩品川下屋敷跡の中にある「立会川西商店街」。



土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO. 1)

品川区立浜川中(国道15線に面した通り)の校庭に「土佐藩品川下屋敷跡」の看板を見つけた。③の位置

当日は、14:00からの「龍馬伝サミット」(品川プリンスホテル)に参加する前に現地に行ったのですが、時間がなく「龍馬伝サミット」終了後、再度現地に行きました。
下屋敷跡地域を約40分かけて歩き、やっと上の写真の看板を見つけることができました。

土佐藩品川下屋敷跡は東大井にありますが、妻は30年程前隣の南大井に住んでいました。妻の叔父は、浜川中の卒業生ですが、「土佐藩品川下屋敷」のことも「浜川砲台」のこともあまり(殆ど)知りませんでした。!!!

次回は、「浜川砲台跡」をレポートします。




Posted by 在京長崎応援団塾 at 20:33│Comments(0)
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