2010年の大河ドラマは、三菱財閥の創始者「岩崎弥太郎」の視線を通して描かれた「龍馬伝」でした。主演は長崎出身の福山雅治。「龍馬伝」を楽しめる情報を発信するブログです!

2009年11月07日

土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

京浜急行品川駅から4番目の立会川駅で降り、土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行ってきました。
今回は、浜川砲台跡方面のレポートです。
土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

①が土佐藩品川下屋敷、⑧に鮫洲抱屋敷があり浜川砲台があった。
②から浜川砲台⑧方向へ向かう道が商店街として残っている。
龍馬もこの道を通って浜川砲台の警護にあたった。
④は立会川駅。
⑤に龍馬像(レプリカ)あり。
⑥は旧東海道。
⑦は浜川橋(なみだ橋)。



土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

立会川駅を出て左側には浜川砲台方向に商店街が続く。



土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

30mほど進むと左側の児童公園の角に龍馬像(高さ2.2m)が建っている。この像は浜川砲台跡地から石垣の一部が発見されたことを記念して、平成16年11月に高知の「ホテル南水」の玄関にあったものを贈呈されたとの事。

事前調査では当初立会川駅前に建立されたが、浜川砲台の方に移動したとの情報だったので「おやっ何故ここにあるの?」と思いながら⑦の浜川橋近くで道路工事の交通整理をしていたガードマンの方に「浜川砲台は何処ですか?」と尋ねたら「???。まっすぐ行くと龍馬像があるらしいけど」という返事。
150m程先に東京都水道局のポンプ室がありその奥に「浜川砲台」の看板がある。近くにおられた水道局の方に「龍馬像は?」と尋ねると「暫く此処にあったけど立会川駅の方に持っていったよ」との事。

神戸海軍塾、亀山社中、薩長同盟等々で各地を駆け回った龍馬と同じ様に、龍馬像も1ケ所には留まらない。

「龍馬伝サミット」の会場で品川区の担当の方に龍馬像について尋ねたら
・当初立会川駅前に建立したが、非常時の住民の避難の際に支障となる。
・一時的な仮置きとして浜川砲台跡に持っていったが、浜川砲台の場所は、河川法の問題があり恒久的に置くことは出来ない。
・龍馬像はレプリカで材質は、強化プラスチックなので、銅像ほど重くはない。
との事でした。龍馬のことだから、また何処かへ行ってしまいそうな気がします。


土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

浜川橋(なみだ橋)。道路は旧東海道。
橋のそばに「なみだ橋」由来の記述あり。
 鈴ヶ森刑場(八百屋お七が処刑された場所)に送られる罪人を親族が涙を流して見送ったとのことです。

土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

東京都水道局ポンプ室の建物の奥に「浜川砲台跡」の看板がある。
土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

50cmから150cm位の大きさの石が6個あった。
この脇に龍馬像を一時仮置きとしたとの事。
後ろは土手になっており地元商店街が中心となって始めた「しながわ花海道」として2キロに亘り、春は菜の花、秋はコスモスの花がきれいに咲いているらしいです。



土佐藩品川下屋敷跡と浜川砲台跡へ行きました。(NO.2)

浜川砲台から浜川橋(なみだ橋)、立会川も台風からの強雨で涙で溢れていました。
浜川橋までの右側一帯が鮫洲抱屋敷跡らしい。


Posted by 在京長崎応援団塾 at 02:07│Comments(0)
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